今回はNPO法人SALASUSUさんをご紹介させていただきます!

NPO法人SALASUSU共同代表の青木 健太(あおき けんた)さんに

お話を伺いました。

その中から一部を質問形式で抜粋いたしましたので、

是非最後までご覧ください!!

【NPO法人SALASUSUとは】

NPO法人SALASUSUは、2002年に創業された
現,認定NPO法人かものはしプロジェクトから、
カンボジア事業として2018年に独立した団体。

『ものづくりを通したひとづくり』を活動コンセプトに、
カンボジア農村部の女性と「LIFE JOURNEY(人生の旅)」を
テーマにブランドを展開している。

カンボジア語で「がんばって」という意味のSUSUに、

「学校」を意味するSALAをつけたのが由来で、

主な事業はカンボジアでの「ものづくりとひとづくり」。

農村の最貧困女性を雇用し、ものづくりを行う工房を経営している。

女性たちの働く時間の約20%はトレーニングに使って
社会で生き抜くライフスキルを育んでいて、
工房で生産した商品はカンボジア、日本・台湾・香港で販売している。


対談相手:青木健太/ Kenta Aoki

SALASUSU Co-founder / CEO

1982年生まれ。2002年、東京大学在学中に、
2人の仲間とともに「かものはしプロジェクト」を創業し、
”子どもが売られない世界をつくる”という理念のもと
カンボジアの児童買春を解決するために活動。2008年からカンボジアに渡り、
貧困家庭出身の女性たちを雇用し、ハンディクラフト雑貨を
生産・販売するコミュニティファクトリー事業を統括する。

カンボジア事業の自立に伴い、2018年4月からは
NPO法人SALASUSU共同代表として、現地で活動を続けている。
新しい法人では、「ものづくりを通したひとづくり」を
活動コンセプトに、独自の教育プログラムを開発。
現在は、そのプログラムを工房から
カンボジア全土、そして世界に広めるべく日々奮闘中。

Q:「かものはしプロジェクトから独立してから色んなことがあったと
思いますが、一番大変だったことは?

*独立の経緯についてはこちら→自立のその先に描くビジョン | 活動ブログ

A:2つ思い出すシーンがあって、1つはリーダーとして大変でしたね。

35歳になって家族もいて従業員も100人以上いる中で、

カンボジア以外でも活動していた
かものはしから3年後になるとお金がもらえません、

自分達でお金を用意しなければいけない、という状況になって。

その話を聞いた当時のある部門のスタッフは

半分以上が転職活動を始めたんです。

『この団体もう終わったな。』という声も出てくるわけですよ。

一方で、NGOだったり日本からわざわざ現地に行って活動する人って

メンタリティー違うじゃないですか、カンボジアとか活動にかける想いが。

そういった意味で僕たちも『違うんだ、これは戦略があって、希望があって』といった想いを伝えようとし続けて、ホープワークショップっていうのを何回もやって、みんなの前で良いニュースを話したり、

『辞めなくても大丈夫だ』と伝え続けたんですね。

まあでもそう伝えているこちらも実際は自信ないわけですよ。

かものはしは良い団体にどんどんなってきていたと思っているけど、自分一人でたちあげて育ててきたわけではないし、色んな意味で自信のない中で、すごい希望のあるふりをしなきゃいけない。

そんな中で段々悪い方向に行ってしまって、

『なんで自分だけ人事とかお金とか気にしなきゃいけないんだ』

と考えるようになって、

第2回ホープワークショップを開催する日の朝、起きれなくなってしまった。

目は覚めてるけど背中がベッドから離れない感覚でした。

それで団体内でも代表が来ないなんてノーホープだっていう

雰囲気になってしまって。

そのシーンはすごく覚えていますね。

結局その後ワークショップはしたんですけど、良い、悪い関係なく経営者は勝手に孤独になっていくもので、誰にも相談せずに、自分の理想のリーダー像になることに囚われていたことに

気づいたんですね。

別にそれはマストではないし、弱い部分も見せたりしてもいいと気づいて、

自分らしいリーダーになれるように自分の中のリーダー像を変えたんです。

そこからチームとして取り組むようになって、うまくいきだしましたね。

もう1つは、

『なぜ独立するのか』

っていうのを自分で納得するのが大変でしたね。

自分で言ったことなんですけど(笑)

かものはしの中でカンボジアから撤退しますという話が出たときに代表の1人として自分も賛成したんだけど、同時に独立しますとも言ったんです。

その時もうカンボジアに住んで7,8年経っててカンボジアが好きだったし、ノリとか愛着とか、色んな想いもあったんだけど、反射的に言ったところもあって、

「なんで独立したいの?」って止められたんですよ。

移住し始めたころ頃、

自分が呼ばれたときにカンボジアの事業がすぐにうまくいくと思ってた。

でも実際は全然できなくて、ずっとチャレンジし続けていたんです。

でも、

『それが悔しくて、もっと自分はできるはずだ、うまくいくはずだと感じていたり、従業員に対して申し訳ない気持ちで続けたいと思っているんなら

辞めたほうがいい。

そんなネガティブな感情で、

モノづくりと教育の両方の事業が成り立つわけがない。』

と、その時に共同代表の1人に言われたんです。

すごく良い言葉をかけてもらいましたね。

また、

『でもそんなに言うなら何か他に想いがあるんじゃないの?』

とも言われて、自分もそうか、となったんです。

そこから約1年、

自分との対話・仲間との対話が始まって、自分の中のいろんなものが見つかったんです。

その対話から分かったことは、自分のルーツの中にヒントはあります、

ということ。

自分の経験や生き方が今の価値観やあり方に

影響していることって大いにあるじゃないですか。

それが理由で起業したとまではいわないけれど、1つの自分を作り出す要素としてそれを認めたときに、

今はそれが自分のエネルギーになっていることを感じるわけですよ。

人をエンパワーメントすることが好きでやってんだな、そして人が元気になるのを見て自分も元気になっているなと。そのことに気づけたので、自分との対話をした1年は大変だったというかチャレンジングだったな、と感じます。

Q:「SALASUSUのメイン事業であるライフスキル教育の話について、4日間で都市の仕事を辞めて村に帰ってきた女性の話があると思うのですが、それについて詳しくお聞きしたいです。

さっきの話とも通じると思うんですが、カンボジアで特に小中学校で中退してしまった子とかにどういう風に今後の人生を作っていくかを考えてきたんですけど、その女性にいたっても、ものづくりをしようとしてもすぐ壁にぶつかるわけですね。

戻ってこないとか、就職しても辞めてしまうとか。

その時に、発想の転換ほどでもないけど

『なんで頑張れないんだろうな』って考え出したんです。

そこで気づいたのは、

『じゃあ誰が僕に「頑張る」ことを教えてくれたんだろう?』っていうことなんですよね。

「自分が鉄の意志を持って頑張っているんですか?それを自分で自分の中に形成してきたんですか?」って自問自答したときに、違うなと。

小学校の先生や親、部活の先輩、関わってきた色んな人があの手この手で自分に

『頑張るとといいことあるよ』って教えてくれたじゃないですか。

少なくとも自分だけでこうやって頑張れるようになったわけではないと思うんですよ。

その時に、

「頑張ることの大事さや頑張るための技術を彼女たちはどのくらい教わって来たんだろう?」と思って。

僕たちが勉強したりするときって、

知り合いや周りの人からインスピレーションを受けることって多いと思うんですよ。

そういったこともある程度一定の対人関係のスキルがあってのことで、

そのスキルを身に付ければ問題解決できると思ったんですね。

それが正解だったかどうかはもう少し時間が経ってみないと分からないところだとは思うんですが、僕らはそれを「ライフスキル」と整理して、遅刻をしないことの大事さなど様々なものを「ライフスキルトレーニング」としてまとめてます。

理論を学ぶことや大事さを学ぶことと同じくらい実践することが大事なので、

その実践の場としてライフスキルトレーニングを行っています。

村で時間を守ることを実践しようと思っても、

誰も叱ってくれる人がいないから学べないわけですよ。

でも工場ならそれはすごく大事なことなので、

叱る人やできたときに励ましてくれる人がいるんです。

そこは大きな違いですよね。

Q:「コロナ禍になってから現地の女性たちはどのようなことを行っていたんですか?

1つは政府から止められたっていうのがあって、工房が開けなくなりました。

工房って職業訓練校に位置付けられているので学校と一緒なんですね。

学校が閉じたタイミングでうちも閉じたんです。

もう1つは注文の量なんですが、商品販売の7割、団体全体の収入の半分くらいはカンボジアでの観光客に向けた物を売ってたんですね。

シェムリアップという街自体が観光客99.5%減とかで

壊滅的な被害を受けているなかで、

その人だけでなくて旦那さんやタイなどに出稼ぎに行っている人も帰ってこなくちゃいけなくなって現金収入はかなり無くなった。

そういった状況だったので、

まず僕らは早急に給料をサポートする体制をとりました。

クラウドファンディングを行って給料を全額負担するので、

みんなの村での生活やちょっとした出稼ぎなんかも応援することにしました。

そして、ちょうど今月から再オープンすることができました。

まだ注文の少ない状態は続くのでずっとは給与サポートできないから、

この後まだ少し大変です。

とはいえ彼女たちも生きる力は持っているので、

最初のサポートだけはしたという感じですね。

Q:「SALASUSUさんの今後の展望についてお伺いしたいです!

SALASUSUはSALAが学校という意味で、

SUSUが「頑張って」と応援するときにかける言葉なんですね。

頑張るための学校なので、さっき言った頑張るためのライフスキルであったり、もしくは

リーダーシップみたいなものをどうやったら伝えられるのかっていうのをトライしています。

一方で研究室のように、

『頑張る』ってどういうことなのかとか、どうやったら身に付くのか?

他の社会や会社が『頑張る』を応援するようになるにはどうすればいいんだろうかとか、

そういったことを考え、

『頑張る(SUSU)』について本当に詳しい団体になっていこう

と思っているんですね。

うちの団体はそんなに儲からないんだけど、そこは研究機関のような感じもしていて、教育メソッドやトレーナーの育成だったり難しい教育課題についてこれからもチャレンジしていく団体でいようと思っています。

儲からなくてもいいから幼稚園とか村の中でのビジネスサポートもやりたいし、

難しいバックグラウンドの人たちとできる限り成長を支援していくような教育課題に取り組む研究機関として成長していきます。

それを世界に伝えていくことも始めていく予定です。

例えば、うちの工房では数十人しか雇用できないし

それだけ教育の幅も限られているけど、

来年からJICAと4年かけて行うプロジェクトも決まっていて、カンボジアにある職業訓練校のソフトスキルのトレーナーをうちが訓練する仕組みを作る

プロジェクトをやります。

そこには僕たちは今までやってきた自信があるので、

理論ではない実践してきたものを

JICAや労働省などの力を借りて輸出していって、

哲学とかそういう方面でのものづくりもしていこうと。

その2つの方面で成長していけたらなと思っています。

後は、どの団体も思っているとは思うんだけど、

うちももっと有名になったらいいのになと思っています(笑)

こだわってやっているからこそもっと色んな人に知ってもらえたら、

励ませる人もいるんじゃないかなと感じて外向きのこともしていますし、

今後もしていこうと思っています。

【編集後記】

青木さん自身の大きな壁を乗り越えてこられた経験や『SALASUSU』の哲学と実践が浸透し、多くの関係者も巻き込みながら歩みを進めていく団体としての姿勢。

大きな学びと実りのあるインタビューとなりました。

ご協力頂き誠にありがとうございました!

特定非営利活動法人SALASUSU

2018年設立

Co-founder / CEO:青木 健太

【活動概要】

・ハンディクラフト雑貨を生産・販売する

コミュニティファクトリー事業

・工房ツアー事業

・カンボジア企業,政府へのソフトスキル研修

・日本企業への滞在型のリーダーシップ開発ツアーや

社会課題解決ワークショップなど

・社会起業家,ソーシャルビジネス,

リーダーシップ,エシカル等のテーマで講演

HP:https://salasusu.com/ 

2020年12月3日
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